禅問答
無知だと思われている奴隷に問答法を用いて正方形の2倍の面積の図形を作図させた。
ソクラテスは真理はすでに人間の心の中に眠っていると考えた。(真理を生み出す元は奴隷の中にある)
『南泉斬猫』(なんぜんざんみょう)
情報親:https://koromonotate.blogspot.com/2012/08/blog-post_965.html
公案「南泉斬猫」についての解釈
金閣寺でのなん南泉斬猫のストーリー
唐代の頃、池州南泉山に普眼禅師という名僧があった。山の名に因んで、南泉和尚と呼ばれている。
一山総出で草刈りに出たとき、この閑寂な山寺に一匹の仔猫があらわれた。ものめずらしさに皆は追いかけ廻してこれを捕え、さて東西両堂の争いになった。両堂お互いにこの仔猫を、自分たちのペットにしようと思って争ったのである。
それを見ていた南泉和尚は、忽ち仔猫の首をつかんで、草刈鎌を擬して、こう言った。
「大衆道ひ得ば即ち救い得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せん」
衆の答えはなかった。南泉和尚は仔猫を斬って捨てた。
日暮になって、高弟の趙州が帰って来た。南泉和尚は事の次第を述べて、趙州の意見を質した。
趙州はたちまち、はいていた履を脱いで、頭の上にのせて、出て行った。
南泉和尚は嘆じて言った。
「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」
解釈
解釈1:自我の迷妄を斬った
南泉和尚が猫を斬ったのは、弟子たちの争いの元、執着の元となるものを斬ったのである。これを殺人刀と呼ぶならば、趙州のそれは活人剣である。泥にまみれ蔑まれる靴を頭上にいただくことで限りない寛容を示し、菩薩道を実践したのである。
解釈2:美に対する忍耐
猫は究極の美の具現であって、それが両堂の争いの元となった。なぜなら美は誰のものにもならないからである。南泉和尚は猫を斬ることで争いを終着させたように見えて、実際にはただ美の具象を斬ったに過ぎず、美の根源は断たれていない。趙州はただ、美を耐える他ないことを示したのである。
情報親:https://note.com/azurite_mito/n/n75affd518be7


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