ファラデーの研究日誌で「場」の概念が浸透した
運動しているとは「誰かにとって運動」しているということである。相対性がある。
恒常性(ホメオスタシス)とは、生物が外部環境の変化にかかわらず、体温、血糖値、水分量などの内部環境を一定の範囲内に保ち、健康な生命活動を維持しようとする性質
場同士の相互作用
法則というのは「二度と繰り返すことのない」出来事の間の置き換えに立脚してものを見るということである。
不定元(ふていげん、indeterminate)とは、数学の多項式や形式的冪級数に現れるxなどの記号で、特定の数値を持たず、環の構成要素として機能する「定数」のことです。形式上は「変数」として扱われますが、代数的には多項式環を生成する元として区別されます。
非基準的選択(ひきじゅんてきせんたく、non-canonical choice)とは、数学・哲学上の概念で、「何かを選ばなければならないが、一義的に決まるわけではない選択」のことを指します。
「数学をする」とは、ただ無味乾燥な計算規則に従うことではなく、この「非基準的選択」と「置き換え」をダイナミックに繰り返し、事物の背後にある構造や「同じさ」を浮かび上がらせる極めて創造的な行為だということです。
時間
(A)「決して同一平面に回収できないもの」とは、簡単に言うと「絶対に同じ土俵で比較したり、一つの枠組みの中に無理やりまとめて説明したりすることができない、決定的に次元が異なるもの」という意味です。
(B)「同一平面上でしか問題にできないもの」とは、簡単に言うと「共通の基準、ルール、あるいは大前提(=同一平面)を共有して初めて、比較したり、議論の対象にしたりできる事柄」という意味です。
「決して同一平面に回収できないもの」と、「同一平面上でしか問題にできないもの」が初めて異なるものとして語れるようになる「構造=出来事」であるとも言える。
真っ白な紙(何の色分けもない混沌とした世界)を想像してください。そこにはAもBもありません。すべてがごちゃ混ぜです。 しかし、そこにスッと一本の「線(枠組み=同一平面)」を引いた瞬間、世界は劇的に変わります。
- 線の「内側」に入ったもの同士は、その線のルールに従って比較できるようになります。これが「B(同一平面上でしか問題にできないもの)」です。
- 同時に、線の「外側」には、そのルールには絶対に当てはまらないものが必然的に取り残されます。これが「A(決して同一平面に回収できないもの)」です。
つまり、「同一平面(枠組み・ルール・言語・社会システムなど)」という『構造』が立ち上がったという『出来事』があって初めて、私たちは「これはルール内(B)だ」「これはルール外(A)だ」と語れるようになる、ということです。
AとBの差異化の構造そのものが「出来事の構造」すなわち「時間性の構造」であるとはどういうこと
時間性とは何か
まず、ここで言う「時間性」とは、時計の針が進むような「物理的な時間(カチカチという均質な時間)」のことではない。人間が生きる上で感じる「意味のある時間(歴史や物語、過去・現在・未来という構造)」のことである。
もし、毎日が完全に同じで、何の「違い」も「変化」もない真っ白な空間にいたとしたら、私たちは「時間が流れている」と感じることができるでだろうか? おそらく、そこには「時間」という感覚すら存在しないはず。
「差異化」が「出来事」となり、「時間」を生むメカニズム
時間が「時間」として立ち現れるためには、「何かが変わった」「昨日と今日は違う」という『差異(違い)』が絶対に必要です。これがこの文章の最大のポイントです。
前回の回答で、何もないところに線を引いて「ルール内(B)」と「ルール外(A)」を分けることが「構造=出来事」だと説明しました。これを時間に当てはめてみます。
- 差異化の構造(線を引くこと) ある日、何もない平坦な現実に、「ドン!」と衝撃が走り、世界が「A」と「B」に分断される境界線が引かれます。
- 出来事の構造(それが起きたという衝撃) この境界線が引かれた瞬間こそが、まさに「出来事」です。
- 時間性の構造(ビフォー/アフターの誕生) この「出来事(差異化)」が起きたことによって、初めて「その出来事が起きる前(過去)」と「起きた後(現在・未来)」という区別が生まれます。
つまり、「AとBを分ける(差異化)」という「出来事」が起こって初めて、「ビフォー・アフター」という『時間』の概念そのものが誕生するということです。だから、これらはすべて「同じ構造」なのです。
時間は最初からそこにあるのではなく、私たちが世界に意味を見出し、物事を区別し(差異化)、そこに『出来事』を見出した瞬間に、初めて立ち上がるものなのだ
空間
時空から時間性を排除すると空間が残る。
つまり「プロセスを無視して同じだと見なすこと」は空間的。
第三章「現れることの理論」
荒唐無稽(こうとうむけい):荒唐で考えによりどころがないこと。でたらめ。

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